「全国紅花協議会」諸事、印判を制作採用します。

「最上義光」公の印判

印判(印章)は、重要で厳重な管理がなされていた。
「最上義光」公は平安時代の北条早雲を祖とする家系で、室町時代開祖の斯波兼頼(しばかねより)が延文元年(1356年)に羽州探題として山形に入部したことに始まる。源氏である。

@七徳の印判は、治世の理想を表している。
A鼎(かなえ)は権力を象徴する。
B圀(くに)は四方八方の国々を制するという意味。
C出羽の國を制し57万石(実質100万石)の全国有数大名まで昇りつめた。
D元々京都・滋賀・大阪・三重など関西文化圏に精通していたため、農事・陸運・水運・海運他の整備や酒田に代表する町人街等を創り山形県民に多大なる財と文化の基盤を遺したのである。
また、京都洛中からは日本全国に「最上紅花」を使った産物や文化を発して現代に至る
Eそれら総てのおもいに対応する印判として義光公の志を表現しました。
今この時代に改めて公の偉大な足跡に触れて、使命感というか与えられた責務

 

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