「全国紅花協議会事務局」諸事、マイルーツと《最上義光》公と現代

紅花(最上紅花)を江戸時代に発展させた『最上義光』公は、
《我父親系ファミリーヒストリー》
近江商入系大阪堺で米問屋を商っていました。公に見出だされ山形の重要拠点で軍事要衝の地にて、公に尽くしてました。
《我母親系ファミリーヒストリー》
公が病気になり蟄居した際に同行し、筆頭腰元として、出羽三山に病気祈願したりしながら、最期まで看取ってからお山にこもり現在の地名にもある「部落名・自動車道の橋名などに」その名前が記されております。
その後、白岩水力発電所・仙山線完全電気化など先進的な部門に尽力し地域の発展に寄与しました。
時代は戦争に突入してゆきます。
山形市の上町から三日町に掛けて取得していた土地100数十町歩の田畑を持っていましたが、戦後の「農地解放」で全て失いました。
理不尽とは云えある意味社会公益に尽くしました。
その名残は神社の境内にお墓で、解ります。
その子孫が私です。深川です。
京都に公の末裔様が、居られます。
交流しています。
不思議な縁です。
公の家紋を拝し、お茶に表示しています。
これ等を、世に問おてみたいのです。
江戸時代が在るから、今私があるのです。
「最上紅花」万歳「最上義光」万歳
この画像は、最上家に寄進した工藝額縁です。

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